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すがやみつるの漫画家・夢の工房

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プロフィール:すがやみつる
1950年9月20日、静岡県富士市生まれ。1972年『仮面ライダー』(原作・石ノ森章太郎)でデビュー。『ゲームセンターあらし』など少年漫画で人気を博す。近年は娯楽小説家として活動し架空戦記シリーズやユーモアミステリーを執筆。2009年に早稲田大学人間科学部を卒業し、今春、大学院に進学。
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コラム 2010/05/19
第14回 16歳で漫画家デビュー!
画業40年を迎える大ベテラン大島やすいち【後編】


初期の長編『天下一大物伝』と『おやこ刑事』がテレビドラマに
  
 大島やすいちさんへのインタビューの2回目です。前回は「少年サンデー」でデビューした直後に、オイルショックで雑誌のページ数が減り、仕事も減ってしまって困った……というところまででした。

 ――オイルショックで仕事が減って、しかもデビューしてから日が浅かったし、不安もあったのでは?

大島「それはもう大変でした。編集者は親切心から、『どんなものが描きたいの?』ってきいてくれるんだけど、質問の意味がわからなくて『漫画を描きたいんです』と答えたら、困った顔されました」

 ――ああ、手持ちのアイデアとかストーリーがあったら見せてくれってことですね?

大島「そうなんです。こちらは漠然と動物が出てくる漫画……みたいなイメージしかなくて、企画みたいなものは漫画家が考えるものとは思ってなかったんです。アシスタントの経験はあっても、京都に住んでいましたから、編集者と先生が、実際にどんなことを打ち合わせするのかも知らなかったし……」

 ――そんな大変な時期を経て、75年に連載がはじまったのが『天下一大物伝』(原作・梶原一騎)ですが、これは長くつづきましたね。テレビドラマにもなって(※1)。

大島「はい。コミックスも全8巻になりました。困ったのは資料でしたね。たとえばトラックが出てくると、それを絵にするための資料がなくて。当時はインターネットもなかったし。しかたがないので、当時、大宮に住んでいたんですが、アシスタントだった里見桂(※2)と一緒にクルマに乗って、使えそうなトラックを探しては、それをスケッチしていました。あのころはカメラで撮影しても、フィルムを現像するのには1~2日かかりましたしね」

 ――そう考えるとデジカメは、漫画家にとって実にありがたい道具ですね。撮影して、画面でも見られるし、プリントもできるし。

大島「スケッチしている時間がないときは、たとえば喫茶店が出てくるとすると、モデルになりそうな喫茶店の前に行って、じっと見ては憶えてきたものです」

 ――このあと77年から『おやこ刑事(デカ)』(原作・林律夫<はやし・のりお>。近日イーブックジャパンでリリース予定)がはじまるわけですが、これも長かったですね。

大島「81年まで4年間つづきました。コミックスで25巻になって、テレビドラマも半年つづきましたね(※3)」


その理由は……。いま明かす「少年マガジン」移籍の真相

 ――『おやこ刑事』と並行して「少年ビッグコミック」で『一撃伝』がはじまり、これも4年ほどつづきましたが、この間に、『おやこ刑事』が終了し、82年から、突然「週刊少年マガジン」で『バツ&テリー』がはじまりました。「週刊少年サンデー」育ちで小学館の仕事ばかりだったのに、どうして講談社の雑誌に描くようになったんですか?

大島「理由は単純です。『サンデー』から仕事がこなくなって、しかたがないから『マガジン』に行ったんです。そもそも『バツ&テリー』だって、最初は『サンデー』用の企画として話をしてたんですから」

 ――ひょえ、そうだったんですか! 企画が通らなかったんですか?

大島「パンチパーマの暴走族が出てきて野球をするみたいな話じゃないですか。そういうヤンキーものや番長ものみたいなのは『サンデー』では御法度だったんです。ちょうどラブコメ全盛だったこともあって」

 ――ああ、「サンデー」だとあだち充さんに高橋留美子さん……。

大島「そうなんです。だからといって、こちらも結婚していたし、アシスタントもいたので、仕事がなくては困るわけです。それで、うちの奥さんが知り合いだった『マガジン』の編集者を紹介してもらって、『バツ&テリー』の話をしたら、『すぐにやろう!』と言ってくれたんです」

 ――「サンデー」の方が、少女漫画チックな漫画が多かったですもんね。やはり移籍して正解だったんでしょう。事実ヒットしたし。

大島「おかげでアニメ映画にもなって、84年には講談社漫画賞もいただけました。『金で動いた』なんてウワサが流れたこともありますが、一銭たりとももらっていません(笑)

 ――横浜が舞台でしたが、事前に取材したりしてたんですか?

大島「いえ。横浜には行ったこともなければ、バイクに乗ったこともありませんでした(笑)」

 ――あらま(笑)。その後、「ミスターマガジン」の『こちら大阪社会部』(原作・大谷昭宏)のように青年誌に軸足を移した仕事が増えますが、これらの取材は?

大島「ゴルフは30歳くらいのときから始めてましたけど、ちょっとやったくらいでゴルフ漫画を描いても、面白くならないことがよくわかりました。藤子不二雄A先生の『プロゴルファー猿』なんて、すごく奇想天外な内容じゃないですか。ちょっと知ったくらいだと、マニアックになるばかりで、『猿』みたいな内容は描けないんですよね。藤子A先生がゴルフを知っているからこそ、あそこまでハチャメチャを徹底しても、面白く描けるんです」

 ――(自作のハチャメチャゲーム漫画を思い出して)そうかもしれないですね(笑)。

●大島さんの仕事場チェック
机まわり
大島さんの仕事机。原稿用紙の上にある眼鏡は老眼鏡。左にある文庫本は『剣客商売』(池波正太郎)。写真の左側には大画面テレビが幅を利かせている
仕事場
アシスタントが黙々と背景を進行中。54ページの『剣客商売』を2週間ほどで完成させる
資料写真
時代劇作品の背景で参考にする資料写真

細い線を描くにはどのペンが?いつまでも新しいことに挑戦!

 ――最後に道具のことを。(机の上を見て)ペン先が何種類もありますが。

大島「いまの漫画って線が細いじゃないですか。それで、どんなペンを使ったら細い線が描けるのか、いろんなペンを買って試してみたんです。ぼくらが漫画を描きはじめたころって、本宮ひろ志さんはじめ、皆さん、ぶっとい線で描いてたじゃないですか。デビュー当時、編集者に『銭ゲバ』(ジョージ秋山)の原稿を見せられて、『こんな具合に太い線で描くように』と言われたこともありました」

 ――たしかに秋山先生のペンは太かったですね。アシスタントの経験があるので知ってます。キャラの身体や背景をすべて描いてましたから(笑)。

大島「そうなんですか(笑)。まあ、そんなわけで太い線に慣れていたものだから、大友克洋さんが出てきたときは、びっくりしたものです。こんな細い線でいいのかって」

 ――大友さんは、紙も印刷もいい青年誌が舞台でしたから、あんな細い線が使えたんでしょうね。で、新しいペンはどうでした?

大島「いやあ、やっぱり使い慣れてるペンが一番ですね。結局、いつものGペンとかぶらペンにもどってしまいましたね」

 ――それは残念。でも、いつまでも新しいことに挑戦する姿勢は、見習わせていただきます。今日は、ありがとうございました。

※1:『天下一大物伝』のテレビドラマは東京12チャンネル(テレビ東京)で76年10月~77年3月まで放送
※2:里見桂(さとみけい)。大島さんのアシスタントを経て78年『ロックシティ』でデビュー。代表作『なんか妖かい!?』(原作・きむらはじめ)他
※3:『おやこ刑事』のテレビドラマは79年4月から79年9月まで東京12チャンネルで放送





一撃拳
『一撃拳』
大島やすいち 各315円(税込)

大輪寺拳法の継承者、坂本一撃が帰ってきた。大輪寺拳法の修練所・大輪寺学園から3年ぶりに地元に戻った一撃は、暴走族の集団に襲われた少女を助けたことから、暴走族の抗争に巻き込まれる。一撃に相対する族のヘッド祭門凌は、かつて大輪寺学園南舎舎番を務めた大輪寺南拳の使い手だった。
 

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