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すがやみつるの漫画家・夢の工房

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プロフィール:すがやみつる
1950年9月20日、静岡県富士市生まれ。1972年『仮面ライダー』(原作・石ノ森章太郎)でデビュー。『ゲームセンターあらし』など少年漫画で人気を博す。近年は娯楽小説家として活動し架空戦記シリーズやユーモアミステリーを執筆。2009年に早稲田大学人間科学部を卒業し、今春、大学院に進学。
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コラム 2010/03/19
第13回 16歳で漫画家デビュー!
画業40年を迎える大ベテラン大島やすいち【前編】


『漫画家・夢の工房』がスタートして半年が過ぎ、今回が7人目の漫画家訪問となった。

 秋晴れの午後に訪問したのは、あの『おやこ刑事』や『バツ&テリー』で知られる大島やすいちさんの仕事場。お邪魔したときは、「週刊マンガ日本史」
10号に掲載されるフルカラーマンガ『源義経』が終わり、池波正太郎原作の『剣客商売』(「コミック乱」連載)に取りかかっているところだった。

 大島さんの仕事場は、練馬区の石神井公園に近い2階建て住宅の1階。2階は、レディースコミックで活躍する奥さんの川島れいこさんの仕事場だ。さらに仕事場は別だが、長女の大島永遠さん、次女の三島弥生さんも漫画家と、大島家は漫画家ファミリーでもある。

 うちのカミサンと川島さんが、ともに里中満智子先生のアシスタント出身で、それが縁で大島さんとも知り合いになったが、最近は、たまにパーティーで会うくらい。デビュー直後の大島さんの作品を見て、大きな衝撃を受けた経験もあり、いつか、そのころのことを聞いてみたいと考えていた。その願いが、ようやく実現したというわけである。


16歳で「少年サンデー」新人賞! 高校在学中に週刊誌に連載!


 ――おひさしぶりです。いきなりですみませんが、恒例によりまして、生年月日と出身地から教えてください。

大島「生まれは1954年3月24日、出身は京都です」

 ――平安高校でしたよね? 野球で有名な。

大島「ええ。ぼくはハンドボール部でしたが」

 ――漫画を描き始めたのはいつごろから?

大島「小学生のときですね。教科書からノート、広告の裏、体育の時間に校庭に出れば、そこに座って地面に漫画を描いてました」

 ――そのころからペンに墨汁をつけて?

大島「いえ、最初は青インクでしたね。雑誌の漫画が青いインクで印刷されていたので、てっきり最初から青インクで描いているんだと思ってました。原稿用紙なんてわら半紙でしたからね。手塚漫画が好きで、『W3』のモブシーンなんかを真似たりしてたんですが、小さなキャラが描けなくて……。あとで雑誌の漫画が縮小印刷されていることを知って、小さな絵が描ける謎が解けました(笑)」

 ――最初からストーリー漫画を?

大島「コマを割って描き出したのは、いつくらいだったかなあ。墨汁を使ったり、原稿を拡大して描くことは、中学生のときに読んだ『マンガ家入門』で知りました」

 ――ぼくの師匠でもある石ノ森章太郎先生の本ですね。この本を読んで漫画家になろうと決意した人が多かったんですよね。恥ずかしながら、ぼくもそのひとりで……(笑)。

大島「この本で、作者が漫画の1コマごとに、ある意図を込めて描いているんだってことを知って、すぐに真似しはじめたんです」

 ――そのころの作品が公式ホームページに掲載されてますね(※1)。

大島「動物が好きで、とくに馬が好きなんですが、そんな漫画ばかりでしたね」

 ――15歳のとき『少年サンデー新人賞』に応募して佳作に入った『ハゲコウ』という作品も動物漫画でしたね(※2)。

大島「そうです。いま見ると恥ずかしいですけどね。そのあと、高2の夏休みに上京して、『少年サンデー』の編集部を訪ねたんです。新人賞で佳作になったおかげで、担当編集者がついてくれてたもので、描きあげてあった
50ページの漫画を持っていったんですが、そこで見せてもらった石井いさみ先生の作品が、初めて目にしたプロ漫画家の原稿でした」

 ――50ページの漫画は、そのまま採用に?

大島「いえ、長すぎるから32ページに縮めてほしいといわれて、なんとかまとめたのが、『青春の土』という野球漫画でした。これが新人賞に入選して、さらに描き直した原稿で、翌年(71年)、『少年サンデー』でデビューしました。とにかく漫画家なんて、まともな人間のやる仕事じゃないと思われた時代でしたからね。高校を卒業するのを待ってから漫画家をめざしたら、絶対に家族に反対されると思って、とにかく高校在学中にデビューしてしまおうと必死だったんです」


大島さんの仕事場チェック
<b>大島</b>さんの机
ペン先はニッコーのGペン。シャープペンシルは、あり合わせのものを使う。こだわりはない。ペン軸は「スライダーSL2050─黒」。ミリペンはピグマ各種。消しゴムはPLUS のプラスチック消しゴムAIR-IN。練りゴムも頻繁に使う。修正液はミスノン



<b>大島</b>さんの本棚
『花守人』カラー原稿
トイレットペーパーは漫画家の必需品。吸い取り紙にもなればペン拭き、筆拭きにもなる
ペン先は、ニッコーのスクールペンなど各種を試してみたが、結局、ニッコーのGペンに落ち着いている

イラスト



みなもと太郎氏の後釜でアシスタントを初経験!


 ――そういえば高校生のときにアシスタントを経験してるんですよね?

大島「そうなんです。同じ京都に沼田清という漫画家が住んでいると聞いて、住所を調べて探し回ったら、なんと、ぼくが通っていた高校のグラウンドのすぐ隣にお住まいでした」

 ――沼田先生といえば、日の丸文庫の貸本劇画誌から青年コミックに移行していたころですよね。「COM」にも描いてたかな。

大島「そうです。かなり忙しくて、毎日、ハンドボールの練習が終わったあと、沼田先生のお宅に寄ってアシスタントをしてました。ぼくが手伝い始める少し前に、京都在住の漫画家志望者が手伝いをしていたそうなんですが、あとで聞いたら、みなもと太郎先生でした。あの『ホモホモ7』の(笑)」

 ――絵柄が違うから大変だったでしょうね。これは、みなもと先生も認めてらっしゃいましたが(笑)(※3)。それにしても、学校に通ってハンドボールもやって、そのうえにアシスタントもして、自分の漫画も?

大島「いま考えると信じられませんね。どうやって時間を作ってたんだろ?」

 ――このあと読切りや短期連載を経て72年に連載がスタートしたのが将棋漫画の『駒が舞う』でした。ぼくも石森プロから『仮面ライダー』でデビューしたばかりだったんですが、『駒が舞う』が始まった直後に「少年サンデー」の編集者から作者の年齢が17歳と聞いて、「もう漫画家やめようかな」と思ったのを憶えています。

大島「へえ、そうだったんですか……」

 ――こちらは21歳になっていたのに、あまりにヘタッピーで、コンプレックスの塊だったものですから。ところで、この作品は関西の河内が舞台でしたね?

大島「そうです。でも舞台のモデルは京都が多かったですね。自分で市内を歩いて、舞台になりそうなところを探して歩きました。大阪の将棋会館に取材に行った日が、あさま山荘事件の突入があった日でした(※4)。

 ――東京に出てきたのは、その後ですか?

大島「『駒が舞う』が終わってからですね。いろんな作品を描いてみたんですけど、どれも短期で終わってしまって、そこにオイルショックがやってきて……(※5)」

 ――73年ですね。ぼくもオイルショックで仕事が激減したんですが、大島さんも?

大島「同じでした。そこで小学館の人に頼んで、描かせてもらったのが学習漫画の『王貞治物語』でした。このころが、いちばん大変だったかなあ……」

 ――このあと、TVドラマにもなった『天下一大物伝』をはじめヒット作がつづくわけですが、紙数が尽きたので、つづきは次号で。


※1:大島やすいち公式ホームページ
※2:デビュー前の作品も公式ホームページで見られる(トップ→作品紹介→15歳未満のイラスト等)
※3:みなもと太郎氏のコメントは「漫棚通信ブログ版」9月30日「本年初秋のマンガ論@Web」で読める
※4:機動隊の強行突入は2月28日
※5:中東諸国間での戦争の影響で石油価格が高騰し用紙価格も上昇。雑誌のページ減のため、一部の漫画家が仕事にあぶれた。すがやも被害者のひとり





一撃拳
『一撃拳』
大島やすいち 各315円(税込)

大輪寺拳法の継承者、坂本一撃が帰ってきた。大輪寺拳法の修練所・大輪寺学園から3年ぶりに地元に戻った一撃は、暴走族の集団に襲われた少女を助けたことから、暴走族の抗争に巻き込まれる。一撃に相対する族のヘッド祭門凌は、かつて大輪寺学園南舎舎番を務めた大輪寺南拳の使い手だった。
 

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