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まんがのソムリエ

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プロフィール:中野晴行(なかの・はるゆき)
1954年生まれ。和歌山大学経済学部卒業。 7年間の銀行員生活の後、大阪で個人事務所を設立、フリーの編集者・ライターとなる。 1997年より仕事場を東京に移す。
著書に『手塚治虫と路地裏のマンガたち』『球団消滅』『謎のマンガ家・酒井七馬伝』、編著に『ブラックジャック語録』など。『マンガ産業論』で日本出版学会賞奨励賞、日本児童文学学会奨励賞を、2008年には『謎のマンガ家・酒井七馬伝』で第37回日本漫画家協会賞特別賞を受賞。2009年、「まんがのしくみ」連載を電子書籍化した『まんが王国の興亡 ―なぜ大手まんが誌は休刊し続けるのか―』をリリースしたのちに、『マンガ進化論』と改題して書籍出版。

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レビュー 2010/03/20
第53回 理想の父でもある先生の奇妙な日常を描く
天才柳沢教授の生活
『天才柳沢教授の生活』
山下 和美 各420円(税込)



 私、列車の中で携帯電話を使っている人を見る度に思うのだ。この人はどうしてこんな簡単なルールも守れないのか、と。もっとも、携帯電話で話している人のほとんどは、約束の時間に間に合わないお詫び、とか、取引先や上司にお詫びをしているようで、基本的にルーズな人なのかもしれない。

 禁煙のルールもそう。仕事場の近所は2年も前から路上喫煙禁止だが、依然吸っている人がいる。もっとも、煙草という趣味はスタートからしてほとんどの人たちが「未成年は吸ってはいけない」というルールを破ることから始めているわけで、これはあきらめることにしている。

 そんな私が心から尊敬し、ぜひともこの人のようになりたいと憧れるのが、Y大経済学部教授・柳沢良則氏である。

 柳沢氏は60歳。毎日決まった時間に起きて、大学に向かう。歩く速さはいつも同じ。道路は必ず右側を歩き、横断するのは横断歩道か信号のある場所に限る。道ばたで不正な看板や犬の糞を見つければ即撤去! 授業の合間は研究室でただ静かに読書。途中来客があれば、読み終わった箇所に印をつけてから本を置く。

 帰る時間は決まっていて、家に帰れば食事の合間に一日の出来事を語り、決まった時間には必ず就寝する。

 休日には読書や新聞のスクラップを楽しみ。午後には散歩。散歩の時にも必ずスーツにネクタイ着用である。たまに妻のために買い物に出ることもあるが、そのときには安く品質の良いものを徹底して探す。経済学の僕(しもべ)としては当然のことであろう。

 残念なことに、柳沢教授は実在の人物ではない。実在の人物であれば、私はただちに弟子入りを申し出たであろう。しかし、柳沢教授はまんがの中の人物なのである。

 山下和美の『天才柳沢教授の生活』を初めて読んだのはもう20年も前のことだ。世の中は、お金がお金を生むバブル景気に浮かれていた時代だった。学生の就職は「売り手市場」と言われて企業が学生を奪い合う状態。多少成績が悪くても大手企業の内定がどんどん出た。ディスコでは着飾った女の子たちが踊り狂い、「お立ち台ギャル」なんて言葉もあった。

 教授はそんな俗世間とは全く無関係に、昔から自分が決めてきたルールとペースに従って悠々と生きている。バブル崩壊後もそれは変わらない。教授の一貫した堅物ぶりと、俗世間の価値感を以て教授の生活に介入しようとして困惑する学生や、同僚の教授たちの姿を描く風刺性がこのまんがのひとつの読みどころだろう。

 しかし、教授は堅いばかりの人間ではない。内面は実に優しい男なのである。それこそが、『天才柳沢教授の生活』の本当の魅力だ、と思えるのだ。

 教授は少年時代から生真面目な秀才タイプだったが、子どもの遊びやスポーツも得意だった。ベエゴマの腕はガキ大将も負かすほどだったが、勝っても相手のコマを取り上げるようなことはしない。思いやりがある男なのだ。海軍経理学校でもトップでスポーツ万能の美青年として女学生の憧れの的。しかし、偉ぶることはない。今も妻や4人の娘、そして孫に対する愛情は深い。疲れている妻のために買い物を代わることも厭わないし、孫は教授に子守をされると安心して眠る。捨て猫にも優しい。

 言ってみれば、柳沢教授は男の中の男。理想の父親であり、先生なのである。

 実は、教授にはモデルがいる。山下和美の父親で小樽商科大学の教授だった古瀬大六氏である。柳沢教授の末っ子でY大学に通う世津子は山下和美自身。山下も四人姉妹の末っ子だったのだ。

 ああ、会ってみたかった、古瀬先生……。


 さて、何年か前。友人の大学教授にこのまんがを読ませたことがある。すると彼曰く。「これは古き良き時代の大学だね。今の大学教授はこんなに優雅じゃないよ。90年代に定年で退官した人たちが一番幸せだったんじゃないの。もはやこんな(柳沢教授のような)先生はファンタジーになっちゃうよ」

 今の大学教授は、講義の準備に加えて、連日の教授会や文部科学省に提出する書類の作成や受験生を増やすためのPR活動で忙殺されて講義の合間も読書どころではないらしい。休日も学会活動やシンポジウム、講演会などに引っ張り出され休む間もないそうだ。夜が遅くなるために自動車通勤でないとどうしようもないらしい。

 私などは『天才柳沢教授の生活』によって、大学教授という職業にある種の憧れを持っていたのでそれを聴いてちょっとがっかりした。が、それでもなお大学には柳沢教授のような世俗を超越した人物がいて欲しい、と思うのだ。でなければ、大学の存在意味がないようにさえ思えるのだ。


天才柳沢教授の生活
『天才柳沢教授の生活』
山下 和美 各420円(税込)

日本の動物園・水族館の中で最多である8種ものペンギンを飼育している「長崎ペンギン水族館」。そこを訪れた教授が、ペンギンたちの「生」と「夢」とを学問する! 「天才柳沢教授がおじゃまするペンギンの生活」収録!
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